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販売をインターネットだけに決める(起業の頃-8)
 それやこれやで、会社はなんとかスタートしたのですが、それから約4ヶ月後G社は倒産してしまいました。H社長が自分で製造しようとしなかったのは会社運営が行き詰まっていたからかもしれません。この時、拡声機の発売はまだでした。

 G社の倒産であてにしていた販売ルートは失われてしまいました。
そのため、拡声機を扱ってくれる販売店を探しました。しかし、聞いたこともない超零細会社の商品をまともに相手にはしてもらえず、希に置いても良いと言われも、仕切価格の要求は製造原価の半分くらいでお話しになりませんでした。

 ところがそのころ、インターネット販売が期待してもよいものであることが分かりはじめていました。販売台数は大変少なかったのですが利益率は格段に良かったのです。これなら販売ルートの確保などの営業活動は全く不要です。そのため卸売りは一切しないでインターネットによる直販だけに決めました。
ところがこうなると、卸して欲しいという依頼が販売店から時々入ってきます。インターネットで見たお客様から入手を依頼される様です。お願いしてもバカにされるだけだったのに、と思いながら丁重にお断りすると販売店さんは仕方なく定価で買ってくれたりします。

 この拡声機の販売台数は微々たるもので、これでやっていけるようなものではありませんでした。しかし骨伝導補聴器の「きくちゃん」の販売台数は少しづつ増え、ピーク時はかなりの台数が売れました。これは会社の存続に大いに役立ちました。

 クリアーボイスみみもとくんαは価格的にたかがしれていましたが、それでも当時は有り難いものでした。この2つは今でもコンスタントに売れ続け、特にみみもとくんαは大変好評です。
みみもとくんαのような商品はその後大手メーカーからも発売されるようになりましたが、難聴用として これを凌ぐものはまだ見あたりません。良い商品とはこういうものかと思っています。

 このような経過で、自社開発商品はお世話になったりした特定の店に僅かに卸していますが、原則としてインターネットによる直販だけとし、現在に至っています。

 拡声機の開発が一段落したので補聴器の開発を始めました。後で考えると補聴器のことは殆ど知らない素人が老舗メーカー製を凌ぐ商品を作れると思ったのですから随分無謀なことを始めたものです。そしてそれが出来たのですからやってみなけれが分かりません、下手に知識を持っていなかったのが良かったのかもしれません。

 これ以降は「グッドイヤーの開発」をお読み下さい。
 
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posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0)
オンラインショップ開始(起業の頃-7)
 拡声機の製造に目処が立ったので、会社を設立しました。2001年4月でした。
販売だけなら商店で良かったのですが、製造するには信用の関係で会社にすることが必要でした。
しかし、設立しても直ぐに商品の拡声機を揃えることが無理だったのと、少しでも収入が欲しかった私はG社で扱われていたクリアーボイス(ケータイ型集音器)と みみもとくんα(テレビ用コードレススピーカー)のインターネット販売を始めました。また、その直後に補聴器も加わりました。

 当時インターネットはまだダイヤルアップの時代で、オンライン販売は一部の新しもの好きの人が利用する程度でした。だから、私としてはインターネットで売れることなど殆ど期待してなくて、最初の注文が入ったときは大変驚いたものです。
また、当時はインターネット販売をしていると知人に話すと「インターネットで物を買うような人が本当にいるのか」と不思議がられたものです。
2001年はまだそんな状況であり、インターネット販売は若い人にも殆ど利用されていませんでした。しかし8年後の今は80歳代の方からも時々注文が入ります、変われば変わるものです(それにしては売り上げが伸びていない)。

 売れると思ってなかったのでホームページ以外は何の準備もしてなくて、注文が入ってから慌てて運送業者と契約しました。
また、ホームページは見栄えはもちろんアクセスを上げるための細工などは何一つ知らず、ただ作ったというだけのものでした。それでも少しづつ売れたのですから、今思えば有り難い時代でした。
ホームページの見栄えは今でも当時の雰囲気を強く残していてそれがかえって特徴になっているようです。

 尚、現在は素人が初めて作ったホームページなど探しようが無いくらいホームページが増えてきました。そのためオンラインショップも参入は少し敷居が高くなったかもしれませんが、他の業種に比べると参入は大変容易です。生産者にとっては一般的な流通で販売するより利益率が圧倒的に良い筈ですから、農業をされている方などには強くお薦め出来ます。
 
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posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0)
拡声機を商品として製造(起業の頃-6)
 暫く間があきましたが、ネタ切れなので今日は会社設立の頃の続きです。

 新試作拡声機は銀鈴会(喉頭摘出者のための組織)にも持ち込みましたが採用にはなりませんでした。担当の方は強い興味を持ってくれたのですが、政府の支援で開発したばかりの拡声機を捨てる訳にはいかないとのことでした。

 拡声機製造のために、私は部品集めを始めました。なにしろ、自分で製造するのは初めてでしたから部品集めは苦労しました。
中でもスピーカーは良い拡声機を造るための要となる部品でした。数社から良さそうなのを選びサンプルを取り寄せテストした結果、なかなか良いものが有ったのでこれに決め、少し早かったけれども発注しました。

 ところが入荷したスピーカーをいくつか試して驚きました。規格の範囲内ではあるものの能率の低いスピーカーでは音量がかなり小さいのです。
そのため、あわててダイナミックレンジ制限回路を組み込みました、危ないところでした。

 この様にして出来た拡声機は小規模の講習会程度でなら結構実用的な音量を持っていることが後に分かりました。
また、いくらなんでも屋外では無理だろうと思っていたのですが、観光案内でもかなりの方にご利用頂いています。ダイナミックレンジ制限器のおかげと言えます。

 尚、一時的に全く売れない時期が有りました。不思議に思ってインターネットで調べてみたら、単四電池6本(?)仕様でしたがコンパクトで外見も悪くない拡声機が売られていました。しかし、この拡声機は半年もしないうちに姿を消しました。販売元はかなりの台数が売れることを期待して投入したものの予想以上に市場が小さくて撤退したのではないかと思います。
こんな市場にも関わらす、いつか新機種を出したいと考えている私はおかしいのかもしれません。
 
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posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 18:08 | comments(0) | trackbacks(0)
更に小型の拡声機を開発(起業の頃-5)
  前々回のブログでG社のH社長が拡声機に関心を持ってくれた事を書きましたが、「会話に使うにはこれでは大き過ぎる、もっと小さく出来ないか」H社長はそう私に提案しました。そのため、単三乾電池2本で動作する拡声機の試作を試み、これは比較的簡単にできました。新レベル制限回路は組み込みませんでしたが、会話の為には十分と思えました。
このころは台湾メーカーから携帯できる装着拡声機が発売されていましたが、それは単三電池が6本必要でありサイズも重さもかなりありましたから、それに比べるとこの試作拡声機の携帯性は並はずれていました。

 そしてこの試作拡声機をG社に持ち込んだところ、H社長は私に製造を勧めました。
私としてはG社で製造してくれるものと思っていたのであてが外れました。しかし、止める訳にもいかず、販売はG社にお願いすることにして、私が製造することにしました。

 あては外れたのですが、このような機器の製造・販売についてH社長からはいくつかのことを学びました。最も有益だったのは、大量生産品のように洗練された仕上がりでなくてもニーズが有れば商品として立派に通用することを知った事です。それまでの私は大量生産品にしか触れたことがなく、ハンドメイド的な製品が商品として通用するとは思ってもいませんでした。
このおかげで、考案したアイディアを独力で商品にすることが可能になったのです。後のグッドイヤーが商品化出来たのもこの経験からです。
 
JUGEMテーマ:ビジネス

 
posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 08:56 | comments(0) | trackbacks(0)
拡声機の売り込みとH社長との出会い(起業の頃-4)
 試作拡声機を持って多くのメーカーに売り込みを試みました。そのような会社の中には障害者向け製品の開発、製造、販売をしているW社もありました。多くの会社では取り合ってもらえなかったのですが、この会社のN社長はお会してくれました。
また、この時は拡声機と共にこの回路は補聴器用として優れているというふれこみで売り込みました。

 小さな出力で大きな音を出せるこの回路を用いれば、耳に負担を与えない音量でもよく聞こえる補聴器を造れるだろうとこの時から考えていた訳で、後のグッドイヤーホワイトイヤーの構想はこのとき既に有ったのです。しかし、試作にまで手が回らなかったので補聴器の売り込みはアイディアだけのものでした。

 忙しい時間を割いて会ってくれたN社長ですが、拡声機については「これは口頭摘出者のための会話用拡声機に適しているから銀鈴会(喉頭摘出者のための組織)に提案したらどうか」と私にアドバイスされました。この提案は行いましたが成功しませんでした。理由は銀鈴会では既に政府の支援で拡声機の開発を済ませていたからです。

 また、補聴器については、試作品が有ってさえも大変難しい売り込みが、アイディアだけで成功する筈がありません。更にそのふれこみは、そのころ市場の主流となりつつあったデジタル補聴器のキャッチコピーと殆ど同じだったのです。「そのような補聴器は既にある」ということで検討してはもらえませんでした。

 という訳でまたしても売り込みは絶望かと思われました。
しかし、ここで止めたのではこれまでの多大な努力が無駄になります。そのため、売り込みは結構必死で続けました。その売り込みをした会社の中にG社がありました。
この会社は以前、音響製品の電気部品を扱っていたそうですが、その頃は障害者用機器の卸売りをしていました。これが縁で私は後に、クリアーボイスみみもとくんαきくちゃん等の難聴用機器を販売するようになりました。

 G社には丁度その頃、口頭癌で声帯を摘出された方から「小型で扱いやすい拡声機が無いか」と相談が持ち込まれていました。そのためか、性格ゆえか、多分両方だと思いますが、H社長は私の提案に強い関心を持ってくれました。

 H社長は学生時代に夢を食べて生きるという意味で「バク」というニックネームを持っていたそうです。この性格は良い方に転べばかなりの成功をしたかもしれないと私は思っています。
尚、H社長とのつきあいは、つまらない問題で後に途切れてしまいました。
 
JUGEMテーマ:日記・一般

 
posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0)
小出力でも大きな音量を出すことに成功 (起業の頃-3)
 単三乾電池4本で4Wの出力がとり出せるアンプを使って拡声機を試作したところ、まあまあの音量でした。しかし十分とまでは言えず、壁にぶつかってしまいました。

 メーカーに買ってもらうには、いや、実用的であるためには「まだ音量が足りない」と思いながら諦め状態で回路をもてあそんでいた時に、小出力アンプでも大きな音が出せる新回路が出来た、いや偶然発見したのです。
この後も何度か行きづまりを経験しましたが、打開策が見つかるのは決まって窮地に陥りもう打つ手がないと諦めかけた時でした、不思議なものです。

 新回路を組み込んだ拡声機にラジオの音声信号を入れてみました。すると力強い音が勢いよく飛び出してきたのです。少し堅い音でしたがこの回路を用いない場合に比べ4倍以上の音量に聞こえました(定量的には不明)。

 なかなか良いものが出来たと思い、また売り込みを始めましたが、全くの徒労でした。今ならこのような売り込みは殆ど成功しないことを理解出来るのですが、当時は良いものなら買ってくれる会社があるものだと思っていたのです。

 買ってくれる会社は有りませんでしたが低電圧高出力アンプや小出力で音量を稼ぐアンプの作成を通し、教科書に無いものをつくり出そうとするのがバカげた事ではないことを知りました。

 
JUGEMテーマ:ビジネス

 
posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0)
装着拡声機を試作 (起業の頃-2)
 ハンズフリー電話機は諦める他ありませんでした。(当時の私は自分で製造販売するなど考えられないことでした。)
次に取り組んだのが小型装着拡声機です。ハンズフリーアダプターはモノになりませんでしたが、この時作成したマイクロホンを使えばハウリングが起き難く使い勝手の良い装着拡声機が出来ると考えたからです。

 装着拡声機は小型であることは勿論ですが、だからといって音量があまりに小さいという訳にはいきません。なにしろ拡声機なのですから。しかし、この2つは相反する上に、実用的な音量を得るには乾電池が6本くらいは必要と思われました。今でも他社製装着拡声機は乾電池6本、アンプ出力は5Wくらいが普通です。

 ハンズフリーアダプターで作成したマイクロホンは良好なハウリング特性を得るのに大いに役立ちました。
電源は単三乾電池4本で進めました。手軽に使えるには単三電池6本では重すぎると思ったからです。しかし4本だと当時入手出来るICでは必要な出力が取り出せませんでした。
そのため充分な音量はなかなか出せませんでした、アンプ出力が小さい上にスピーカーまで小さいのですから当然です。

 そこで、低い電圧でも効率よく出力の取り出せるアンプを考案し、単三乾電池4本で4W程度の出力が取り出せるアンプをトランジスタで作りました。電池を6本使うアンプには少し及びませんでしたが、それに近い出力が実現できたのです。

 尚、小型装着拡声機はサラリーマン時代に私が欲しいと思っていたものでした。
サラリーマン時代私は、小規模な講習会を度々行っていました。そして講習会ではポータブル拡声機を準備することがよくあったのですが、それはかなりの負担でした。また講習会は社外で行うこともあり、そこに拡声機を運ぶことは困難でした。
このような経験から小型装着拡声機は需要があると考えていました。

 しかし、この手の拡声機は随分昔から大手電機メーカーを含め何度か発売されたにも関わらず、成功しなかったことを後に知りました。成功しなかった理由は市場が小さいと結論づけられているようです。しかし私は、使い勝手があまり良くはなかったからではないかと思っています。だからいつかは本当に使い勝手の良い小さな拡声機を造りたいと今でも考えています。
 
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posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 08:37 | comments(0) | trackbacks(0)
ハンズフリーアダプターの開発 (起業の頃-1)
 今回から、会社設立前後のことを思い出しながら書いてみたいと思います。
しかし、未だに超零細のままですから起業の参考にはなりません、興味本位だけでお読み下さい。(実は話しの種が無いのです。)

 1998年頃(頃というのは正確に覚えていないからです)私はL社のM社長に通話品質の良い携帯電話機用のハンズフリーアダプター作成を依頼されました。当時は携帯電話の運転中使用が禁止される直前であり、新道路交通法が施行されると車載ハンズフリーアダプターの需要が一気に増えると思われていました。またその頃の市販車載ハンズフリーアダプターの殆どは送話音が途切れやすく通話品質に大きな問題がありました。
そのため、M社長は送話音が途切れないアダプターを造り販売したかったのです。

 M社長から依頼される少し前、サラリーマンを辞めてから何をしたら良いか分からなかった私は(実は辞めてすぐ始めた事業は半年で挫折したのでした、その話しはいずれ・・・しないかも)固定電話用のハンズフリー通話アダプターの試作に取り組んでいました。理由はその頃の電話機は家庭用もハンズフリー(スピーカーホン)動作は双方向通話特性が十分ではないことが原因で会話しにくかったからです。だから、双方向通話特性の良いハンズフリー電話機が出来れば商売になるだろうと考えていました。

 M社長から車載ハンズフリーアダプターの話を持ち込まれたのはこの様な時でした。
車載用ハンズフリーアダプターが音途切れをするのも双方向通話特性が悪いことが原因でしたから、固定電話用を車載用に変更すればうまくいくかもしれない。
そう思って「通話品質の良い車載アダプターが出来たらそれを買ってくれる」という約束をして開発を始めました。電波ノイズに苦労しましたが、音質の良いアダプターは出来るかもしれないという状態になっていました。

 ところが、この話しは突然キャンセルされました。ハンズフリー市場がおいしい市場ではないとM社長は気づいたのもしれません。

 そのため固定電話用も含め、ハンズフリーの回路を買ってもらおうといろいろな会社に売り込んでみました。そして、ハンズフリー製造販売のベンチャー企業に採用されかけましたが、この会社は倒産してしまいました。この会社の状況は急変したようです。
想像ですが、最初の機種はテレビで紹介されたりしたので販売店からの引き合いが強く、好調な売れ行きのように見えたものの実際には売れてなくて、販売に急ブレーキがかかったのではと想像しています。

 それ以外にはいくら売り込んでも興味を持ってくれる会社はありませんでした。この頃になるとハンズフリーアダプターはそれ程売れないということが分かりはじめていたようです。

 
JUGEMテーマ:ビジネス

 
posted by: なめそ | 会社設立の頃 | 15:51 | comments(0) | trackbacks(0)